ホテルのミスでお忍び外泊がバレて離婚の危機?

事件ファイル1

ホテルやレストランでは、企業コンプライアンスといった観点に加えて、
ゲストサービスの中で生まれるクレームの対処など、さまざまな場面で法律の知識が必要とされる。
こうした知識は、知らないと大問題に発展しかねない。
この連載ではケーススタディを交えながら、分かりやすく法律を学んでいく。



ケーススタディ

ホテルのミスでお忍び外泊がバレて離婚の危機?


ある日、某大企業の社長がホテルに宿泊に訪れた。チェックインの際、
フロントスタッフは社長から「No Information」(実際には宿泊しているが、
外部からの問い合わせがあった場合、ホテル側が“宿泊していない”とうその
インフォメーションすること)の指示を受けた。フロントスタッフは、すぐに
宿泊システムにその旨を登録。館内のあらゆるスタッフが見られるように共有した。


しかし、その日の晩、夜勤のフロントスタッフがうっかり外線からの電話を
取り次いでしまった。電話の相手は、社長の奥さま。なんと社長はお忍びで
宿泊していたのだ。うそがバレた社長は「ホテルのせいで離婚の危機だ。
これで離婚になったら、訴えてやる!」と、カンカンにご立腹。


確かにフロントスタッフは「No Information」の指示を受けたが、これは
ホテル側が好意でやっているサービスであり、宿泊約款などで責任の所在を
謳っているわけではない。この場合、ホテルにはどこまでの責任があるのだろうか?


プライバシーを扱う事業
大変なことになりましたね。ホテルのスタッフにミスがあったことは確かなようです。
ホテルを利用されるお客さまは快適な時間を過ごしたいと思っています。
プライバシーの尊重が強く求められる事業です。プライバシーを無視した
対応をしたら「こんなホテルもう二度と使いたくない」と思われてしまうでしょう。

こうしたミスは今回の社長さんのようにクレームがあって初めて表面化します。
クレームがなければホテルサイドでは把握できない可能性があります。
しかしスタッフの対応一つで、いつ起きてもおかしくない過ちです。


社内の体制整備(内部統制)
プライバシーにかかわる業務を営むホテルにとって、こうしたミスは、ホテル
全体に対する信用を落としかねません。ミスが生じないようにするためには、
お客さまから「No Information」の指示があった場合の対応を徹底しておくことです。
スタッフ間での連携が行き届くようあらかじめマニュアル化をしておくなど、
内部の管理体制を確立しておくことです。

内部統制と言いますが、法令違反などが起きないようあらかじめ社内で統一した
対策をとり、これを実践する。現代社会ではとりわけ重要です。これは事前の対策です。


起きてしまったら、どうする?
今回のケースでは、すでにミスが起きています。
大企業の社長さんからもクレームが入っています。
慌ててしまう。嘆きたくなる。よく分かります。しかしすでに起きてしまったこと。
こういうときは、起きてしまったことを前提に、どれだけ冷静な対応がとれるかが重要です。


何より大切なのはお客さまのお気持ち、感情の問題です。
まずは、真摯にこの社長さんの声に耳を傾ける必要があるでしょう。
ホテルとしては、お客さまである社長さんに対して誠実に謝罪を続け、
真摯に耳を傾けることが大切です。速やかに誠実な対応をすれば、
怒りを治めてもらえるかもしれないからです。

このあたりは、お客さま対応の一般論であり法律問題ではありません。
なるべく法律問題に発展させないことです。


ヒアリングをする
間違えて外部からの電話をつないでしまったことは事実なのですから、
誠実に謝罪をすることが大切です。しかしホテルに非があるからといって、
お客さまの要求すべてに応えなければいけないかと言えば、そうではありません。


お客さまにどのような損害が発生したのか。これは聞き取りをしなければ分かりません。
どういう状況なのか、教えていただける範囲でヒアリングをすることです。


もし訴えられたら、どうなるか?
訴えられたわけではありません。
あくまで「離婚になったら、訴えてやる」と言われている段階です。
では、もしこの社長がホテルを訴えた場合、裁判ではどういう結果になるでしょうか。
一方で、本当に訴えられたとき、裁判で負けてしまうのかどうかも冷静に検討したい
ところです。具体的には弁護士に相談するのが一番です。「裁判になっても大丈夫です。


「向こうが負けます」というアドバイスをもらえれば、誠実な対応で納得
していただくのがよいでしょう。逆に「裁判になると相当額を支払う必要がある」
と言われたときには、裁判をされたときのホテルの信用問題も考えたうえで、
それなりの金額をお支払いし示談で解決できるよう交渉していくのがベターになるでしょう。


賠償しなければならない場合
裁判で、訴えた人(原告)の損害賠償請求が認められるのは、
裁判所が一定の要件を満たしていると判断した場合です。
今回のようなケースでは、おおむね次の3点が問題になります。


①従業員に義務違反があったか。
②どんな損害が生じたのか。
③①と②の間に因果関係があるか。


この3つをすべて満たしている場合、ホテルはその損害額を社長さんに賠償しなければなりません。



①義務違反はあったのか?
本件ではどうでしょうか。①義務違反の点はあると考えられます。
フロントスタッフは社長さんから「No Information」の指示を受けていた以上、
この指示に従い、お客さまのプライバシーを守る義務があると言えるからです。

ホテルが直接お客さまに対して負っている義務は、宿泊期間中に宿泊サービスを
提供することです。しかし宿泊している際に外部から電話がかかってくることも
当然ある以上、具体的な指示をスタッフが受けた以上は、この指示を守ることも
サービス内容の一つと考えられるからです。にもかかわらず、うっかり電話を
つないでしまった。義務違反はあったと言えます。


②どんな損害が生じたのか?
次の②は問題です。損害というのは、民事裁判の世界ではすべて「金銭」に
換算するのが原則です。これを「金銭賠償の原則」と言います。

「ひどい目にあった」というような場合でも、その精神的苦痛を金銭に計算し
直します。例としては芸能人の離婚でよく報道される「慰謝料はいくら」というもの。
慰謝料というのは、精神的な苦痛をお金に換算したものなのです。


本件では社長さんは離婚したわけではありません。奥さまにこっぴどく
叱られたかもしれませんが、少なくとも財産的な損害は発生していない
ようです。離婚に発展した場合には、離婚で奥さまに支払うことになった
慰謝料などをすべてホテルに請求してくるかもしれません。
こうしたものまでホテルが賠償すべき損害になるか?
これは、次の③「因果関係」の問題です。


③因果関係はあるのか?
奥さまの電話を社長さんにつないだとしても、女性と宿泊していることを
伝えたのでなければ愛人の存在を発覚させたとは言えない可能性もあります。
もちろん、シンガポールに仕事で出張といっていたのが、国内のホテルに
滞在していたとなった場合にはあやしまれるでしょう。ただ、外部からの
電話を社長さんにつないでしまったこと自体から離婚という結果が生じたと
言えるか? これは事実関係次第です。


離婚で奥さまに払うことになった金銭すべてをホテルが負担する必要があるか?
これもせいぜい慰謝料の一部に因果関係が認められる可能性がある程度でしょう。
このように冷静に考えると、仮に裁判になっても、ホテルが多額の損害賠償責任を
負うことになる可能性は低いと言えそうです。


しかし最初に戻りますが、従業員のミスによってお客さまに多大な迷惑をかけた
のは事実です。裁判という言葉にひるむ必要はありませんが、速やかに謝罪をし、
誠実な対応をすることが重要です。


木山泰嗣 Hirotsugu Kiyama
弁護士(鳥飼総合法律事務所所属)。横浜生まれ。上智大学法学部卒。
専門は国税を相手に課税処分の違法性を主張する「税務訴訟」で、
多くの勝訴実績あり(著書に『税務訴訟の法律実務』)。
専門性の高い本業のほかに、執筆業もこなし、単著の合計は9冊。
『弁護士が書いた究極の文章術』『小説で読む民事訴訟法』などロングセラー
作品を次々と生み出している。「難しいことを、分かりやすく」が執筆のモットー。
ブログ:http://torikaiblog3.cocolog-nifty.com/